今朝の食卓で、夫がふいに「斎藤工」っていう俳優さん知ってる?と聞くので、知ってるよ、と答えた。若い、イケメンの俳優さんである。
どうやら、斎藤工さんのラジオ番組で、彼が
朗読をしていて、それを聞いたらしい。
夫曰く、「棒読み」だったらしい。
しかし夫のいう「棒読み」とは、悪い意味ではなく、「内容がスっスっと入ってきた」そうだ。
……うーん、それは棒読みではなく「淡々と」読んでいるということではないのか??(棒読みも淡々も若干共通するところはあるが)
夫曰く、「朗読はお芝居と違うから、棒読み
(淡々!だろ!!)でいいと思う。芝居がかった読み方をしたら、朗読じゃなくなっちゃうし、押しつけられてる感じがするもの…」
朝イチから「朗読談義はやめてほしい」と正直思ったが、確かに一理ある。そうである。
うん、確かにそうだね
でも棒読みだとなんかつまんなくない?
いや、内容が入ってくる。
朗読は、棒読みでいいんじゃないかな?
じゃあ私の読み方はだめなの?
いや、あれはあれで、いい……
棒読みだけだと、つまんないよ。お客さんは逃げていく。(だから、朗読は眠くなる一因でもある)
棒読みじゃなくて、「淡々と読む」という方が合ってるよ。あとは、題材にもよるね…
と言って話題を変えた。
「朗読の定義」って本当に難しい。
でも、私自身と、私の教室に通ってくださっている皆さまには、いつもきちんとブレずに
題材による、時代物は比較的淡々と
淡々ななかにも、立てるところ、山あり谷ありの朗読をしていく等々
聞き手をどう惹きつけていくか
お伝えしていますが
俳優さんや声を仕事にしている方でも、いざ「朗読」となると、目の前のストーリーをどう読んだらいいのか、迷ってしまい?そのさじ加減は難しいのかも。。。
俳優さんの仕事、お芝居の延長で読まれる方もいれば、ただひたすら「読む」ことだけに意識を集中されている方もいて。。。
な~んて、エラそうなことを言いましたが、そのあたりが、朗読の難しさであり、ハマってしまうところでもあるのかもしれません。
あ~、またどっかで読みたいなあ……
と思った朝でした。
感情を(たっぷり)入れて読む、良い点
📖読み手サイドとして
・表現したい気持ちや思いが叶う
・表現できる喜び、楽しい
・感情移入の難しさを克服している
・(表現が苦手な方が多いなか)上手い、器用
・自在に言葉や情景を操れる
・上級者
📖聞き手サイドとして
・わかりやすい
・情景が手に取るようにわかる
・ゆっくりで聞きやすい
・登場人物、風景が見えるよう
…反対に残念な点
📖読み手サイドとして
・感情移入をし過ぎると、表現ばかりに気持ちがいってしまう。よって全体が見えにくく、滑舌や声がおろそかになってしまう。近視眼的になる
・感情を入れこむので、朗読の速さが、ゆっくり過ぎてしまう可能性がある
・長文の場合、中弛みが生じる可能性も
📖聞き手サイドとして
・若干せっかちな聞き手の場合、早く先が聞きたいと感じる
・(感情を入れていくと、朗読自体がゆっくりの傾向にあるので)少し前の内容を忘れてしまう
補足
……などが挙げられます。
感情移入をしてそれを表現できる読み手は、本当に器用で上手い!なかなか苦労している読み手からすると、本当に羨ましいかぎりです!
しかしながら、両刃の剣とでもいいましょうか、
上記のような危険!を孕んでいることも。
そのあたりのさじ加減というのも難しいところですが、題材によって、シーンによって、コントロールできるといいですね。
先日の日経新聞に載っていたそうです。
俳優 長塚京三さんのコラム。
(拡大してご覧ください!)
俳優さんなので、朗読はお手のもの?と思いきや、やはり私たちと同じ「ご苦労」もあるのだな…と。
朗読に向き合う真摯な姿が素晴らしいなぁと思いました。
微妙な観客事情も……。わかる、わかる!!
声は使わなければ錆びる……あたりも、日ごろ声を出して演じている俳優さんでも?
いや、だからこそ、基本の大切を理解されているのでしょう。
求道者ですね。
【ご紹介くださいました、Yさん!ありがとうございました】